October
20
2019
October
21
2019
予約のキャンセル

周辺案内

華山1914文化創意産業園区
ここは日本統治時代の台北市都市計画開発区で、旧名を「樺山町」と言い、初代台湾総督「樺山資紀」にちなんで名付けられました。酒造工場「芳釀社」が置かれ、1914年には「蝴蝶蘭清酒」が製造されました。戦後、国民政府の台湾接収後、菸酒公売局「台北酒廠」としてフルーツワインを製造していましたが、工場の林口移転後、長年使われないままになっていました。


1997年、「金枝演社」が廃墟化していた酒造工場跡でパフォーマンスを行ったことが、国有財産の占有だと問題になりました。これをきっかけに台北酒廠の再利用運動が起こり、アートや文化のパフォーマンス空間に生まれ変わり「華山芸文特区」となりました。現在、園区内には、展示エリア、音楽パフォーマンスエリア、映画館、レストラン、カフェ等があり、週末や祝祭日になると、大勢のアートを愛する人々が集います。酒造工場建築としての特色や歴史的価値があるだけではなく、ここに集まる、芸術や文化が園区をより魅力的な場所にしています。

1914

建国ビール工場
前身は、日本統治時代の1919年建てられた高砂ビール株式会社で、当時は台湾で唯一のビール製造工場でもあり、台湾ビールの発祥地でもあります。戦後、国民政府により接収され、菸酒公売局第二啤酒廠(ビール工場)となり、最高生産量は1,200万ダースにも達しました。建物の建材には、赤レンガ、石などが使用されており、産業的にも歴史的にも価値があることから、台北市の市定古跡(文化財)に指定されています
〈18歳未満は飲酒禁止〉

北門
清朝は光緒元年(1875年)に台北府を置き、台北府城の建設を計画、1882年に職人を集め、1884年に完成させました。北極星の方向を向いている北門は「承恩門」と名付けられ、皇帝の恩を賜るという意味が込められています。当時の城門は、防衛のために城郭の内側が二重の牆壁になっており、非常に頑丈な造りになっていました。北門は、現在の忠孝西路、延平南路、博愛路、中華路が交わるところに位置し、当時は台北城から大稻埕への交通の要路でした。台北府城の各城門は、日本統治時代に取り壊されたり姿が変わってしまったりしていましたが、戦後、改修がなされ、北門だけが建築当初の姿を保っていることから、国家一級古跡(文化財)に指定されています。

西門町
台北市の「西区」にある西門町は、戦後間もなくは台湾でも最大の商業、娯楽の中心でしたが、近年、台北市の都市開発計画により整備され「台北のシャンゼリゼ通り」として生まれ変わりました。イベントスペースがあちこちにあり、週末ともなると、運動、文芸活動、ライブ演奏などを行いに、大勢の人が足を運びます。若者の新しい流行の発祥地としてだけではなく、昔の面影を懐かしむ人々も楽しめ、全く異なるライフスタイルを持つ者が交流できる、台湾文化の多元的な魅力を持つ町です。

西門紅楼
前身は、1908年に建てられた「市場八角堂」という西門の近くに住む人々のための市場でした。西門紅楼は、壁が赤レンガ、床はコンクリート、屋根は鋼骨構造という、八角形の特色ある建物です。昔、市場では、生花、書籍、薬等が売られていましたが、戦後は劇場、映画館となり、何度も改修を重ね、現在は、文化創意産業とアートパフォーマンス空間として使われています。

西門紅樓

迪化街
清朝末から日本統治時代、台北で最も栄えていたのは大稻埕で、迪化街はその一画にあります。昔の迪化街は、雑貨や茶葉の集散地でしたが、後に布や、漢方薬を扱うようになりました。ここは、台北市でも昔の町並み(老街)がもっともよく保存されているところで、モダニズムやバロック式の建物の正面装飾の研究に価値があるばかりではなく、まだあまり知られていない多くの美食や文化が多々あります。また、毎年、旧正月前になると、「年貨大街(お正月用品市)」が行われ、通りはお正月用品を買い求めに来る人々でごった返し、台北の文化を体験する絶好の機会です。

北投温泉浴場(北投温泉博物館)
北投温泉は日本統治時代に開発されました。1913年に建てられた北投温泉浴場は、当時、東南アジア最大の公共浴場で、赤レンガの洋風建築は非常に優雅です。当時、湯船周りの壁には色ガラスが嵌め込まれており、独特の雰囲気を醸し出していました。この、北投温泉浴場は、長い間放置されたため荒廃していましたが、地元の人々が保存を訴え奔走したことで、台北市により改修が行われ、北投温泉博物館として生まれ変わり、温泉関連の展示も行われています。